2001年に始まり番組終了の2004年まで、日本テレビ系列で放送されていた伝説的な人気リアリティ番組「マネーの虎」。
起業家の卵達と”マネーの虎”なる投資家との熱い交渉が名物の番組でしたが、その”虎たち”側のその後を追った内容は以下のようなものでした。

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2016年の9月26日(月)に放映された「しくじり先生俺みたいになるな!!3時間SP」(テレビ朝日系)では、【冷徹な虎】として名を馳せた南原竜樹(なんばらたつき)社長が「しくじり先生」として登場し、大失敗とその後の大復活について語っています。

そんな南原社長とは経営に対する意見の相違から番組内でよく衝突していたのが、当時、東京都世田谷区の環七沿いにあった超有名博多とんこつラーメン店の『なんでんかんでん』を経営していた川原ひろし社長。
そんな川原社長が自らの誕生日である3月13日(月)に「しくじり先生俺みたいになるな!!3時間スペシャル」に出演予定となっています。
今回は、そんな川原社長の生い立ちから現在までの歴史を「復活年表」として一覧でまとめてみました。
川原ひろし・マネーの虎の人生年表
「マネーの虎」終了後、環七ラーメンブームの終焉とともに、2億円以上とも言われる負債を抱え全店舗を閉鎖してしまった、なんでんかんでん。
事業を潰してしまった社長のその後は、借金を抱えての厳しい展開が想像されますが、川原社長のその後は意外なものでした。ライバル(?)であった南原社長と同様にたくましく生き抜いていますが、その方法はまったく異なります。
南原社長には、”不撓不屈“という言葉が似合いましたが、川原社長には超ポジティブな”ケセラセラ“(なるようになる)がぴったりでした。
年 | 内容 |
---|---|
1964年(0歳) | 3月13日生まれ、魚座 福岡県博多区出身 |
幼少期 | 4歳より福岡でクラシック音楽の名門、福岡音楽学院付属幼稚園に入園。ピアノや声楽、バイオリンなどを習う。小さな頃から目立ちたがり屋の性格だった。 |
小学校時代 | 音楽以外にも英会話やボーイスカウト、習字などにも通う。また、ラーメン好きが高じてみずから博多ラーメンを作ったり、一人で食べ歩きを重ねる。クラシックは肌に合わずにやめる。 |
中学・高校時代 | 音楽への「情熱」は、中学ではフォーク、高校時代にはロックとシフトするも、高校卒業目前にして元のクラシックへ戻る。その後、音大を目指して受験するも残念ながら不合格。音楽自体への情熱は冷めずに、20歳を前にオペラ歌手を目指して上京することに。 |
作曲家時代(21歳) | 雑誌にあった演歌の作曲家募集記事に応募してみたところ、作詞家に気に入られて、1985年東芝レコードより「打碁一代」という曲で作家家デビュー決定。その後は、シャンソンやタンゴなど自分でも歌手として活動。 |
漫才師へ弟子入り(22歳) | 東京を代表する漫才コンビであった「Wけんじ」が当時、前座歌手を探していたことから、面接に応募。採用とともにその縁でWけんじに弟子入りすることになる。その他歌手以外の司会や、お笑いなど喋りを生かした仕事もこなしながら生計を立てる。 |
1986年(23歳) | 芸能人・歌手としていまいち芽が出ない中、お客さんである一人の女性より、「シャンソン歌手として必要な人生経験が足りていない」との指摘を受け、ひとまず芸能人を引退することを考える。上京後に違和感を覚えていた食べ物は「うどん」と「ラーメン」の二つで、当時の東京には本格的な豚骨ラーメンがなかったことにビジネスチャンスを感じ、かねてより自分が大好きだった豚骨ラーメンで勝負をすることを決意。 |
1987年(24歳) | ひとまず芸能界を引退。福岡の実家へ戻り、知人のラーメン店で1日だけ修行。あとは自宅で研究し、ラーメンを完成させる。 |
1987年7月(24歳) | 貿易商を営んでいた父親から1,000万円を借りて、なんでんかんでんフーズ株式会社を設立。東京都世田谷区の勘定7号線沿いの通称”環七沿い”の羽根木に、本場博多の豚骨ラーメン店「なんでんかんでん」をオープン。店の広さは、わずか13坪16席という狭さで夜だけの営業。 |
1987年~1990年(24~27歳) | オープン後1週間は、一杯480円のラーメンを240円にするなど半額サービスを打ち出し連日の大盛況に喜ぶも、キャンペーン終了とともに客足は途絶える。その後の工夫や努力の甲斐もなく、赤字経営は3年間続く。何度か投げ出そうかと思ったこともあり。 |
1990年頃(27歳) | 当時の東京ではまだ馴染みの薄かった「本格的豚骨ラーメン」に対し、口コミでじりじりと人気が出始める。求人誌「フロムA」で紹介されたあたりで火がつき、一気に他のマスコミでも取り上げられ繁盛店へ駆けあがる。 |
1994年(30歳)頃 | 環七通り沿いで発生した『ラーメンブーム』または『環七ラーメン戦争』の火つけ役となった一方で、夜の”環七”に「なんでんかんでん」へと通う車、路上駐車の増加、数百メートルにも及ぶ大行列などにより近隣とのトラブル、または事故の増加などが社会問題化。しまいには環七の中央分離帯に人の横断を防ぐためのフェンスが設置されるなど、行政を動かすほどの過熱ぶりに。7年目には1日1,200杯で100万円/日の売り上げも記録。年商は1店舗のみで3億円近く、月に使えたお金は最高で800万円と言われる。 |
2001年(37歳) | 日テレ系でスタートした「マネーの虎」に投資家として出演。その後、マネーの虎は人気番組となり、「なんでんかんでん」と「川原ひろし」の名前は、全国区となることに。タレントとしても芸能界へ復活。他の番組でも引っ張りだこで、”芸能人”へ復帰を果たす。最盛期のなんでんかんでんの店舗は全国に直営・FC・コラボ店など合わせて11店舗(最終的には延べ14店舗)まで拡大し、最高年商は5億円。 |
2003年(39歳) | 催眠術師「十文字幻斎」の弟子となる。この頃には「豚骨ラーメン」は東京にも定着。警察の路上駐車の取り締まりの強化や、ライバル店の続出、インターネットや携帯を始めとする若者の興味の多様化などにより、すでに売り上げには陰りが出始める。 |
2003年6月(39歳) | ロックバンド「カブキロックス」のボーカル兼リーダー、氏神一番とともに「ラーメンロック」を結成しCDを発売。 |
2004年3月(40歳) | 「マネーの虎」放映終了。他の美味しい有名ラーメン店の出現などにより、環七ラーメンブームはすでに下火に。 |
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年 | 内容 |
---|---|
2006年(42歳) | 環七ラーメンブームの終焉。 減少の一途をたどっていた売上高に追い打ちをかけるたのが「道路交通法の改正」で、路上駐車の取り締まりが強化。本店の売上は、1日10万円前後にまで落ち込んだ。 |
2006年頃 | 催眠術師としての活動開始。日本催眠術協会所属。 |
2010年(46歳) | タレントとして、太田プロダクションに所属。 |
2011年(47歳) | 「なんでんかんでん」中国西安店オープン |
2012年(48歳) | 11月5日、ついにオープンより26年間、環七沿いの羽根木の本店が閉店。それでも、12月には山口県小野田市で新店をオープン。 |
2012年~ | タレント、講演会やセミナー、催眠術やマジック、歌手や結婚式での司会や歌などの活動で食いつなぐ。月収は20~100万円ほどで波があるらしい。 |
2013年 | 7月に「なんでんかんでん」町田店(ライセンス契約)オープン |
2014年 | 4月に「なんでんかんでん」岡山店(ライセンス契約)オープン |
2015年(51歳) | 1月1日に海老名店が閉店。「なんでんかんでん」店舗は、残りの4店舗(中国西安・おのだサンパーク・町田・岡山)もこの年に閉店。負債総額は2億円以上とも。(ただし、最盛期の負債は逆に3~5億円あったらしい) |
2015年 | 芸能活動、講演や接客セミナーなどを継続し、地道に借金を返済。 |
2016年 | 同じマネーの虎である南原竜樹社長が運営する南原ビジネスアカデミー(NBA)道場に講師として名を連ねる。その他、「なんでんかんでん一夜だけの復活プロジェクト」開催のため、クラウドファンディングで100万円の資金を募るも、たった2名からの合計2,000円という支援の少なさで逆にちゅもくを集める。結果は残念ながら「ノーマネーでフィニッシュ」。今度は、長崎ちゃんぽんならぬ、「博多ちゃんぽん」での再起を図るため活動。借金は5千万円を切るところまで減少。 |
2017年(52歳→53歳) | タレント活動としては、太田プロダクションからカロスエンターテイメントへ移籍。2016年に登場したマネーの虎、南原社長に続いく『しくじり先生俺みたいになるな!!3時間スペシャル』にて、マネーの虎で2番目となるしくじり先生が放映される3月13日で、53歳の誕生日を迎える。 |
いまだ復活への道のりの途中といったところですが、シャンソン歌手からラーメン店のオーナー、タレント活動から催眠術までの幅広い活動、そしてそのカメレオンのような変化への意欲には感心させられてしまいました。
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『なんでんかんでん』川原社長のその後と現在のまとめ
店名になっている「なんでんかんでん」という言葉は、九州で使われている方言で、「なんでもかんでも」という意味なのだそうです。
毎年、年末には恒例の番組となった、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで年末スペシャル『笑ってはいけないシリーズ』などバラエティ番組などにも出演し、自らを面白おかしくパロディーのような姿をさらけ出しています。
川原社長の人生も、その名のごとく『なんでもかんでも』利用し、倒産など後に消えてしまった他のマネーの虎とは異なり、まだまだ負債はあるのにも関わらず、ある意味楽しそうな人生を送られているように思えてしまいました。
きっと、他の誰に何を言われようと、まだあきらめないで勝負をし続けているからなのかもしれませんね。
ケセラセラ。
人生、なんとかなるさ。
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